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「知」図講座の学びについて

Creativeではなく、Generativeの感覚を呼び覚ます練習 

1:偶然を採取する

市川さんと始めた「知」図講座も次回で第4期になる。毎回、歩くたびに参加者のFeel℃(世界が差し出してくれている不思議の種を感受する度合いを僕らはFeel℃と呼んでいる)が高まり、身近な世界の奥深さに感嘆する姿を見るのが嬉しい。そして、もっと知図仲間を増やしていきたい。そこで、知図講座ではどのようなことをしているのかを少しだけ、紹介してみようと思う。おそらく、文字情報だけではわからない世界だし、その面白さを少しでも読者の人に伝えてみたい。

まず、他の講座と決定的に違うのは、徹底的に歩くことだろう。しかも、身近な世界を探検する。ヘンリー・ソローが自分が暮らしたコンコードの周辺を生涯かけて散策したように、自分が暮らす土地をあてもなく歩くことから始めてもらう。その際、スマホ検索は禁止。自分の感性の赴くまま、自分の身体の方位磁石の示す方向へ歩くのだ。そこで参加者はたくさんの「不思議の種」に巡り合うだろう。ミヒャエル・エンデはこう言っている。

自分の内部を探すのではなくて、課題は外なる生がもたらしてくれる。 外からこちらに近づいてくる。これがほんとうにだいじなことです。 やたらに自分の中にもぐりこんで聞き耳を立てるのではなくて、 世界が自分に差し出してくれるものに気づくこと。 

子安美和子『エンデと語る 作品・半生・世界観』(朝日選書306) 

そう。世界は僕らにいろいろな不思議の種を差し出してくれているのだ。しかし、その差し出してくれているものに、全く気づかなくなっている。これは深刻だ。スマホ・SNSで検索すれば答えらしきものにすぐアクセスできる道具に頼っている僕らは、不思議を受信する感度が相当下がっており、さらに深刻なのは仮説を考える機会が奪われてしまったこと。自分のアタマで、脳内情報をつなぎ合わせて考える習慣が失われつつある。この危機にもっと僕らは深刻にならないといけない。

こうして、検索習慣を封じて、スマホはカメラを使い、情報のメモがわりとしてのみ機能させる。偶然出会った不思議なもの、面白いなと思ったもの、自分の感性がワクワクするもの、そうしたものを全てカメラでおさえる。これを「偶然採取」と僕らは呼んでいる。自分のアンテナにひっかかった「雑」が溜まると、それは立派なアーカイブスになる。この雑のアーカイブスをたくさん集積すること。これが知図講座参加者に課せられる。しかし、これはまったく重荷にならない。なぜなら、自分の好奇心の赴くままにカメラで情報を集める小さな旅だからだ。この作業を通じて、参加者はいつの間にか「定住する旅人」になっている。

2:偶然を書き留める

スマホのカメラで、あるいはデジカメで「雑」のアーカイブスを貯めていく。そして、家に帰ってきて、おさえた写真を読み返していく。すると、自分が本当に気になったものが蘇ってくる。今度はそれをA4もしくはA3の紙に記録する。これは個々で描き方が違うが、僕の場合は歩いた足跡としての簡単な地図を描き、発見した場所付近に写真を見ながら発見したもののイラストを描く。そして、それらが歴史遺跡や市の史跡だと必ず近くに説明の看板があり、そこで書かれている情報で大事な部分をメモしておく。また、歩いていると不思議と話しかけてくる人がいたり、もしくはこちらから近くにいた人に話して得た「一次情報」があるとさらに知図情報が深まっていく。

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*同じ八王子を歩いて描いた知図の違い。上が市川作、下が原尻作。

このような知図を生涯描き続けた男が、ルネサンスを代表する天才、レオナルド・ダ・ヴィンチである。レオナルドの有名なノートは現存するものが7,200枚ある。しかし、ウォルター・アイザックソンによれば、彼が生きていた当時その4倍はあったという。

カメラがまだ存在しなかったルネッサンス期に、レオナルドは街を歩き、あらゆる情報をメモしていた。ウォルター・アイザックソンはレオナルドの当時の様子を次のように書いている。

ベルトに付けた小さなノートと、工房で使った大判の紙は、多種多様な興味やこだわ りを映す鏡である。一枚の紙に雑多なアイデアが無秩序に詰め込まれている。技術 者として知識を磨くため、偶然見かけた、あるいは頭に浮かんだ装置を描く。芸術家 として、アイデアをスケッチしたりした絵を描いたりする。宮廷の余興の演出家として、 衣装、舞台装置、上演する物語、気の利いたセリフなどを書き留める。余白にはやる ことリスト、出費の記録、興味を引かれた人々のスケッチなどの走り書きがある。科学 の研究に熱が入るにつれて、飛行、水、解剖、芸術、馬、機械、地質といったテーマ に関する論文の構想や文案も増えていく。ただ、一つ抜け落ちているのは、個人的な 心情や色恋にかかわる記述である。つまり、レオナルドのノートはアウグスティヌスの 『告白』とは違う。恐ろしく好奇心旺盛な探求者が、自らをとりまく世界の魅力を書き 綴った記録である。 

ウォルター・アイザックソン『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(文藝春秋) 

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*ウォルター・アイザックソンの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は新しい学びをリフレームする上で必須の書だ。

そう。大胆に言えば、僕らは知図講座の参加者にはレオナルド・ダ・ヴィンチの方法を再現してもらっているのだ。この方法を高校生の時に意識し、生涯、研究の方法として磨き上げていったのが梅棹忠夫である。その話は岩波新書の名著『知的生産の技術』第1章「発見の手帳」に描かれているので、確認していただきたい。

3:知図をつないで「FBIの壁」をつくる

知図がたくさん描かれてくると、それを模造紙に貼って、知図間の情報をつなぎ合わせたり、共通項を見出したりしながら、仮説を生成していく。この段階で、本格的に書籍やネットで検索し始める。調べて大事だと思った情報をさらに模造紙に貼っていく。こうして、模造紙に情報が溢れ出す。この模造紙のことを僕らは「FBIの壁」と呼んでいる。

アメリカのFBIドラマや刑事ドラマを見ると、必ず捜査でホワイトボードに犯人と被害者の写真を貼り、その近くに操作情報を書き込んでいき、犯人を追い詰める。そのホワイトボードに似ているので「FBIの壁」と命名した訳だ。

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知図講座に参加すると、突然この「FBIの壁」がご家庭の壁にあらわれる。それで周囲は何が起こっているのか、一瞬心配するそうだが、家族もとても気になって、色々な情報をくれるそうだ。「FBIの壁」が家族のコミュニケーションを豊かにしてくれているのだ。この効果は確実で、僕が龍谷大学で行っているアカデミックスキルズの授業同じ現象が起きている。大学生にも同じように歩いて知図を描かせ、「FBIの壁」をつくらせる。まず、家族が心配するらしい。この子は何を始めたのかと、驚くらしいのだ。しかし、意図がわかると家族の中でも特にじいちゃん、ばあちゃんが本には書かれていない情報をくれる。学生たちの報告を聞いていると「昔、歩いたこの辺りは畑で、、、と、じいちゃんが教えてくれました」と話す学生が実に多い。

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*参加者の「FBIの壁」。凄まじい情報量が家庭の壁に出現する!!

こうして様々な情報が複合し、融合してくると、なんとなく仮説が浮かんでくる。仮説はつくるのではなく、浮かんでくる。これがキモなのだ。かっこよくCreativeな作業と言いたいところだけれど、実は様々な情報が勝手に組み合わさって、Generate(生成)されたと言った方がしっくりくる。意図的に作り出すのではなく、生命現象として、生み出されてしまった感覚に近いのである。この感覚を参加者に体感してもらうのが、知図講座のもっともユニークなところだと勝手に自負している。

この感覚を受講者に体感してらもう講座は、僕が知る限り、どこにもない。ここにしかない。

4:仮説を表現する

最後に、生成された仮説を表現する。しかし、知図の一味違うのは、明治の文豪になりきってエッセイを書いてもらうことだろう。正岡子規、森鴎外、夏目漱石、永井荷風、寺田寅彦といった作家の名文を味わい、作家本人に「なりきり」、自己をなくし、作家だったらどう書くかに集中して、エッセイを書く。そして、エッセイを最後の発表会で朗読してもらう訳だが、本当に寅彦が書いたのではないかと思うくらい、魂が乗り移っているような文章を参加者が読むから不思議だ。

エッセイの目安は2,000文字だが、「FBIの壁」を事前につくっているため、情報はすでに準備されているため、いざ書き始めるとスッと書ける。誰の文体でいくかを選択する方がむしろ時間がかかる。とはいえ、市川さんのレクチャー動画をじっくり観れば、本当に誰でも「名文っぽい」文章になる。

第1期で参加者が夏目漱石の「草枕」を読み、漱石になりきって書いた最終エッセイは、びっくりするくらい漱石だった。この感動は参加したものにしかわからないが、きっと作文が苦手だった、学校の自由研究が苦手だったという人ほど、実は「方法論」がしっかりしていれば、自分でもできるものだと確信してくれるだろう。

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最終エッセイまで行き着いた参加者はFacebookの「知図連」というOBグループに誘われ、過去の最終エッセイプレゼンのアーカイブ映像を見ることができる。これが本当にEテレのように面白い。いや、Eテレより面白い。ぜひ、多くの人に知図講座に参加してもらい、人生100年かけてレオナルド・ダ・ヴィンチになってもらいたい。冗談抜きで、である。

僕は龍谷大学のアカデミックスキルズで、いつも学生にこう語りかける。

「もうさ、知識を覚えるとか、それをテストで確認するとか、そんなの大学入試で終わりだ。大学って場所は、自分が不思議に思ったことを探究する場だし、わからないものを解明するための機関だから、その前提をしっかり認識してね。で、僕は皆さんをこれからレオナルド・ダ・ヴィンチにしようと思う。本気で。その方法をしっかりと教えるから、ちゃんとついてこいよ。これからは答えがない時代だ。だから、答えらしきものを自分のアタマで考える練習が必要なんだ。そのトレーニングを今日から半年かけてやっていくからね。じゃあ、宿題。本を捨てて、自分の家の周囲をただ当てもなく歩いて、なんじゃこりゃと思うもの、面白いと思ったもの、気になったものを徹底的に写真に記録して採取してこよう。その際、スマホ検索は絶対禁止。いいかい、自分の感性を信じろ。感性の赴くまま、ただひたすら歩いて、世界が君たちに差し出してくれるものを全部もらってくるんだ。その報告を来週聞かせてほしい。では、いってらっしゃい!!」

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*現在、知図講座第4期を募集しています。参加希望の方は、以下の情報を読み、事務局までメールをください。ゼミ形式のため、MAX12名です。

・宛先:当講座事務局(tqnology@gmail.com)

・件名:「知」図講座 参加申込

・お申込み必要項目:

 ①参加申込者氏名

 ②よみがな

 ③所属

 →所属する学校・会社・組織名を入力してください。なお、フリーや個人 事業主の場合は、その旨をご記入ください。

 ④メールアドレス

 →講座に関する連絡用のE-mailアドレス(パソコンで見られるもの)をお知らせください。連絡等は基本的にメールで行いますので、日常使用しているアドレスをご登録ください。