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私的ジェネレーター論

夏の面白集中ゼミを通じて理解したこと

· 学びの眼鏡

♪(ツラ楽しい3週間)

 8月17日から31日、毎週月曜日の20時〜22時。市川さんと井庭さんによる「ジェネレーター連続講座」が開催された。3回連続の講座だったが、全て”満員御礼”で、チャットやQ&Aの書き込みは多すぎて全て拾いきれないほどだった。モデレータを引き受けた僕も、毎回二人の話に引き込まれて時間を忘れてしまい、時間オーバーすることもしばしばだった。しかし、時間を忘れてしまうほど面白い話に没頭できる時間というのはそうそうない、貴重な時間だ。僕はモデレーターをしつつ、学生のようにメモをし、ジェネレーターについて理解を深めることができ、とても嬉しかった。なぜなら、自分自身、ジェネレーターと名乗っていたから、ジェネレーターを知ることは自分自身を知ることにつながるからだ。「ツラ楽しい」はこのゼミの1つのキーワードだったが、この3週間のツラ楽しい記憶を総括して、現在のジェネレーターの理解をまとめておくことにしようと思う。

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➕(意味づけ=捉え直し)

 ジェネレーター(generator)の語源は、「genero(生じさせる、子を儲ける)」「genus(誕生)+o-(する)」で、生命の誕生を意味するラテン語から来ている。市川さんも井庭さんも植物が好きで、アイデア生成が好きだから、やはり共通して「生命発生を喜ぶ感覚」があるのだろう。

 7年以上市川さんを傍で子供たちとのやりとりを見ていて気がつくのは、市川さんが一番嬉しそうにしているのは、子供たちが自分の「仮説」を発した時である。ここは意外と皆、気づいていない。多くの人はFeel℃ Walkで、いろいろな興味あるテーマや対象を発見することだと思っているが、僕は違うと思っている。市川さんにとって、フィールドの発見は子供たちが仮説を導く素材であって、子供たちがそこから「仮説」を導くことを面白がっていると捉えている。だから、「おっちゃん、おっちゃん、これ見つけたんだけどさ、なんでこれがここにあるのかって、〇〇だからじゃないかなぁ」と言った子供がいれば、市川さんは全力で子供を称賛する。そして、ここからが重要なのだが、さらに畳み掛けるように「こういう考え方もないかな?例えばさあ、・・・」と言った具合に、全く違う角度から市川さんは新たな仮説を打ち込むのである。市川さんは、これをジェネレーターの大事な振る舞いとして「意味づけ」と呼んだ。

 この意味づけを行うことで、子供たちの脳内に何が起こるのだろうか。それは2つある。1つは、市川さんの仮説によって、さらに対象への理解が深まり、知的刺激が発生すること。うまくいけば、さらに深い仮説が導かれることもある。もう1つは、考えもしなかった仮説を授かることで思考に幅が生まれ、仲間が不思議の種を見つけた時に、市川さんからもらった視点を生かして、勝手に仮説を考え始めることだ。

 このような振る舞いは、井庭さんにも共通している。教員と学生の非対称性を嫌い、プロジェクト制を敷いている井庭さんは、学生と同じレイヤーで、より良い作品を作るために、自分の考えを遠慮なくバンバン入れ込む。アイデアに悩んでいる学生たちは、井庭さんの考えに触発されて、今まで考えもしなかったアイデアに到達したりする。ここで学生たちの脳内では、きっと対象に対する「捉え直し」が行われていて、自分だけでは見えなかった新しい側面を発見することで、知的興奮が生まれている。井庭さんは、この考え方を「Reframe」と呼んだ。

 上記で見てきた市川さん、井庭さんに共通する振る舞いは、ジェネレーターの大事な本質の1つであると僕は考える。つまり、”ジェネレーターの大事な振る舞いは、子供たちが自分の考えを勇気を持って発言した時、それを常識で否定せず、称賛した上で、さらに違った仮説や考え方を注入することで、知的刺激を促すこと”と言えるだろう。

✖️(生成の渦発生のメカニズム)

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 ゼミの中で話題になったのが、上記の井庭さんが描いたジェネレーターのイラスト図である。井庭さんのユニークなところは、文章だけでなくイラストを用いて視覚的に概念理解を誘発させる点だ。話題になったのは、テーブルの中心から生まれているグルグルの渦である。

 この渦こそ、ジェネレーターが仲間の内発的好奇心を高める秘密なのだが、僕は二人の話を聴いていて、この渦が発生するメカニズムがわかったのである。上記のイラストにふられている①〜⑥の順番で生成渦発生のメカニズムを解説しよう。

①:あるメンバーが議論の最中、仮説を発言した。

②:そこでジェネレーターは、その仮説に対して、自分の考えを話し「意味づけ」を行った。

③:すると、①で仮説を発言したメンバーの脳内には、新しい概念(Concept)が導入され、新しい仮説が受胎(Conception)し、脳内が刺激され、知に対する喜びが満ちてくる。

④:さらに違うメンバーが仮説を発言した。

⑤:すると、①で発言したメンバーが、④に対して自分の考えを話し「意味づけ」を行った。この時点で、①で発言したメンバーは、この環における第2のジェネレーターになっている。

⑥:④で仮説を発言したメンバーの脳内には、①のメンバー同様に、新しい概念(Concept)が導入され、新しい仮説が受胎(Conception)し、脳内が刺激され、知に対する喜びが満ちてくる。

 このように仮説に対して意味づけし、新たな概念が導入されることによって、知的刺激が当事者の脳内で起き、さらに参加者が意識的に他者に意味づけを行うようになり、グループの環に仮説発生しやすい雰囲気が生まれる。こうなると参加者がどんどんジェネレーターになっているわけで、するとグループの環に、あの渦のような、自由闊達な仮説発生の場が生じることになるのである。

 井庭さんの創造・生成キーワードに「発見の連鎖」がある。創造プロセスにおいて、発見が連鎖されると、予想もしなかった、より良い結果に行き着くというものだが、実はこの「発見の連鎖」を意識的に発生させるには、「意味づけ=捉え直し=Reframe」を行うことで、追い求める対象を立体的に見ることから新たな発見を導かれる。したがって、ジェネレーターは他者への意味づけをまるで遊びのように面白がる雰囲気の醸成が必要になる。そこで重要なキーワードが「ユーモア」あるいは「トリックスター性」ということになるのかもしれない。

 

 さて、もう1つ、このゼミで重要な概念が「中動態」だった。

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 ジェネレーターは仮説生成、アイデア生成、作品生成の場にいて、新しい意味づけを行うことで、場に生成の渦を巻き起こす。その場において、ジェネレーターはどういう立ち位置にいるのか、という問題を考える時、井庭さんは中動態にいるのだと説く。これが画期的だった。

 上のイラストにあるように、現在言語として定着している能動(行為=する)と受動(体験=される)の区別は、近代になって意思と責任の問題を問われるようになった頃に出てきた考え方のようだ。しかし、近代以前は能動と中動が対だったという。近代以前の能動は「出来事が外に起きる」。一方、中動は「出来事が自分の周りや中に生じる」と考えるとわかりやすい。つまり、言語としての動詞は行為ではなく、出来事を表していたわけで、ジェネレート(生成する)のは行為ではなく、出来事として捉えた方がしっくりくるのではないか、という井庭さんの指摘だった。これにはしびれた。

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 さらにモリス・バーマンの

 “「私」が、「経験をする主体」なのではなく、経験そのものになる”

 という指摘もジェネレーターを表す上で、とてもしっくりくる指摘だった。先の「生成の渦」を見ればわかるように、渦が大きくなる=参加者がどんどんジェネレーター化し、増殖するわけだから、誰がアイデア生成の主体なのか、正直わからない。だから、参加者が渦に巻き込まれて、生成の渦に巻き込まれている時、それはみんなジェネレート経験なのであり、誰がアイデアの出発なのか、生成者なのかはあまり意味をなさないのだ。

➗(分人・チーム・実験)

 さらにゼミナールでは、ジェネレーターが育つ社会的背景についても話が及んだ。

 井庭さんは平野啓一郎さんの「分人」の考え方を紹介し、人が持つ多様な側面を生かして、チームを形成し、それを実験していける社会を目指したい、それは「プラグマティズム型民主主義」だと言っていた。

 少し前、ダニエル・ピンク『ハイ・コンセプト』の序文で大前研一が、「21世紀はスーパー個人の時代になる」と言っていた。しかし、最近、『キャリア未来地図の描き方』を一緒に書いた千葉智之が「大前さんは21世紀はスーパー個人の時代というけど、2020年になって思うのは、個人のプロジェクト化、バンド化で、やりたい人たちが集って形にする時代なんじゃないか思うんだよね」と言っていたことが、井庭さんの解説と重なってびっくりした。

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 それからジェネレーターが担う「創造社会」についても考えることあった。ウェビナー参加者のチャットやQ&Aの発言を見ていると、ジェネレーターを今の教育や仕事に生かそうという意思が伝わってくる。しかし、注意しなければいけないのは、上記の図に書かれていることだが、コミュニケーション社会と創造社会の間には深いキャズム(谷)があるのだ。

 橘川幸夫によれば明治・大正・昭和・平成というのは、西洋近代に追いつけ追い越せの物語だったという。その物語には起承転結があって、この物語は平成で終わったのだという。そして、令和の時代になり、新しい物語の起承転結の「起」が再び始まったのだと。この認識に基づいて考えると、ジェネレーターも捉え方が変わるだろう。ジェネレーターは新しい物語の「起」の主軸になる役割なのである。先生やファシリテーターの進化型として捉えるとミスリードするので、ここはしっかりと指摘しておきたいと思う。

(なりきり変換=自分なくし)

 市川さんのジェネレーター育成で面白かったのは「なりきり変換」だろう。「なりきる」ことが大事なのは、自分とは違う対象になりきる訳だから、その対象をよく観察して、その特徴を捉えなければならない。そして、特徴を理解して、対象になりきり行動し、発言してみるのだ。すると、面白いことに今まで自分では考えられなかった考えが飛び出してくる。これを市川さんは「思<枠>はずし」と呼んでいた。それは、みうらじゅんが言っている「自分なくし」にもつながる考え方である。固定されていると思い込んでいる自分の「枠」をはずして、真似をすることで多様な視点を学ぶ訳だ。

 実は、この「なりきり変換」を芸にして有名になったのが、あのタモリである。初期のタモリがテレビで人気になった芸は「四カ国語麻雀」「七カ国語バスガイド」「イグアナ」だった。ちゃんとした言語を話しているわけではないが、耳がいいのだろう、音と人格的特徴が妙に合っていて、不思議と笑ってしまう。

 さらにタモリ倶楽部で地形探究をする回がよくあるが、そこで石神井川を歩きながら、そこでの発言を聞くと「川」になりきって、川の気持ちを代弁したりする。

 自分をなくし、対象になりきることで得られる視座(仮説)から現場を歩き、本を読んで確かめる。このような流れで膨大な知識を吸収しているからこそ、ブラタモリで専門家と対話しても、同じレベルで会話ができてしまうのだろう。

 だから、今後タモリの番組を見るときは、ジェネレーターとしての振る舞いを学ぶという視点で見るといいだろう。見るだけで「なりきり変換マスター」の姿から学ぶことができるからだ。

(これからの課題)

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 最後に私自身の課題である。一般社団法人みつかる+わかるでは、みつかる+わかるモデルというラーニングモデルを提唱している。そのラーニングモデルは上記の3つの領域から構成されている。

1:Feel℃ Walk(野外で発見の感度を高めるために歩く)=仮説発見

2:Fusion Walk(自分の仮説に、他の情報を融合させて、仮説を進化させる)=仮説融合

3:Fantasy Walk(仮説情報を表現に変換させる)=仮説表現

 今の僕は、この3つの領域で固有のジェネレーターの振るまいやあり方、育成方法があるのではないか、と睨んでいる。そして、この3つのジェネレーター領域で得意・不得意はありながらも、3つの領域でレベルを上げていくことこそ、ジェネレーターの質を引き上げることになると考えているのだ。なぜなら、僕や市川さんが師匠として位置付けている、今西錦司、川喜田二郎、梅棹忠夫、鶴見良行、中村尚司、タモリ、みうらじゅん、正岡子規、寺田寅彦、幸田露伴、夏目漱石、森鴎外、萩原朔太郎、レヴィ=ストロース、ヘンリー・ソロー、トリスタン・グーリーとあげればキリがないが、皆共通して3つ全てでレベルが高く、後世に残る作品を残しているからである。

 まだまだ、ジェネレーターの修行は続くだろう。しかし、今後もツラ楽しく、ゼミに参加してくれた仲間と連帯感を持って、新しい「起」の時代の教育をつくっていきたい。