12月のジェネレーターいらっしゃいは、日本で今、先進的な教育に挑戦している2つの学校(軽井沢風越学園・新渡戸学園)で、面白実践を行っている若きジェネレーター二人に登場していただきました。
軽井沢風越学園をメインフィールドとする片岡利允さん(以後、とっくん)は、年少から2年生までをひとかたまりとする異年齢グループの中で、くらしを通じて学んでいます。野に出て歩き、体験し、思いついたことを書き、読みたいものを読む経験を積み重ねてゆく学びのスタイルを追究しています。
一方、山内佑輔さん(以後、山ちゃん)は、新渡戸学園(東京都杉並区)という小・中・高ともに先進的な授業カリキュラムを実践している学校で、日中は図工教師、午後は、校内にある VIVISTOP NITOBE というものづくり&ワークショップスペースで放課後学童のジェネレーターをしています。
二人に共通するのは、学校の外へ飛び出して、いろいろな大人や子どもとワークショップを運営しているところ。「枠」にとらわれず、面白センサーを大事にして、なんでもとりあえずやってみるのです。根っからの面白がり屋と言えましょう。
波に乗っかりずれてゆく 時間を割らずに流されよう
トークはとっくんから始まりました。プレゼンしてくれたのは、今日、ついさっきまで風越で繰り広げられていた子どもたちとの出来事でした。とっても面白いエピソードの詳細は、動画アーカイブを見ていただくとして、とっくんのジェネレーターとしての「ライブ性」が見事に現れていたのは、目の前に訪れた「波」を見逃さないこと。そこに「乗っかって」ゆくのを辞さない姿勢です。
これを即興と呼んだり、アドリブと呼んだりすると、一方で、さすがうまいね!と言われ、一方では、再現不可能だし、計画できないから困るよね!となる。だから聞いている多くの人たちは「面白いな!」とは思っても自分で実践は無理……となってしまいがちです。
しかし、「プロジェクトで学ぶ=見えないなりゆきをともに追いながら学ぶ」スタイルが学校教育においても求められる今、まず変えないといけないマインドセットの根本が、とっくんが示してくれた「生じていることにまずはのっかる」という姿勢と、時間を細切れにしない感覚でしょう。
今、目の前に起きていることに没入し、「時間」を「割」らずに続ける。文字通り、時間割の放棄です。時間割がいらないのではありません。時間割は目安であり、仮の設定。日々、起こる面白いことや大事なことに「乗っかって」随時変更してよいのです。
話し合うべきアジェンダから外れ、
「なんか最近つまんないよな」
「感情を出せてないんじゃない」
というつぶやきが出たら、諭そうとしたり、励まそうとしたりすのではなく、「え?どうしてそう思うの?」と、その気持ちを抱くようになった流れをつかもうとする。それは一種の興味・関心でもある。そして、そこで生まれた発言を貴重な記録としてメタメタマップに書きとるのです。
「それだと遠回りでは?」
「乗っかってとんでもない方向に行ってしまったらどうするの?」
そんな声が聞こえてきます。でも、この「模造紙」の記録のように、ふと子どもがもらした言葉を端緒にひもといてゆくと、あっという間に隠れていた思いがあらわになり、「じゃあどうしよう?」を仲間とともに考え、本来考えるはずだった企画の話に自ずとつながってしまうのです。
子どもを信じる、学び手を信じるというのはそういうことでしょう。
きっと何か生まれるさ、生まれたことから考えよう、いくらでもつながるさ
と考えること。
とっくんがやろうとしていることは、とっくんだからできるという「能力」の問題ではなく、与えられた場でそう動こうと思えば誰でもできること。しかし、それをできないと縛りつけている思惑が邪魔をしているに過ぎない。もちろん、世のしがらみとかがあり、組織の中ではなかなかということはあるでしょう。でも、本当にそうか、それでよいのか、やりようはないのかを改めて考えるヒントがたくさん詰まっていました。ぜひじっくり見てもらいたいと思います。
アマチュア性を発揮して、ひたすらプロトタイピング
続いて、山ちゃんの実践は、1万個の紙コップをただ自由に並べてみたり、新聞紙をひたすら長くしたり、造形活動を用いて、ワクワクと好奇心と想像し、創造する気持ちを見事に引き出すジェネレーターぶりを存分に見せてくれます。
今回のプレゼンは、毎回の授業をすべてドキュメンテーションしたい!という山ちゃんのアーカイバーぶりが発揮されて、
「ああ、だったらこのときのことを……」
という風に、子どもたちが面白発見をして、動き始めた瞬間を記録した写真やら動画やらを元に楽しくトークを進めます。ぜひアーカイブ動画をご覧ください。これは面白い!」と学ぶところ大ですよ。
学校での実践はもちろん最高なのですが、今回、山ちゃんが家庭で、娘さん息子さんとどんな風に「降ってわいたプロジェクト」に取り組んでいるかが紹介されました。
ダンボール箱1箱分のスペースに自分の読んでもらいたい本を置き、販売する「ブック・マンション」という企画に息子さんが乗っかったことが、娘さんの「オリジナル本」づくりにつながり、その「オリジナル本」が有名書店員さんの目にとまり、評判となって、売れるようになってしまった。最初に、本を並べた息子さんの本より売上を稼ぎ、息子さんがむくれてしまった(笑)というエピソード。
その後、娘さんは仲間とともに小説をつくり始めるが、父・山ちゃんの役割は、活動をする公民館スペースを借りたり、できた小説を文字起こししたりという裏方。決して、小説の書き方やらなにやらを教えるわけではない。しかし、この人に話を聞いたらきっと小説の編集がさらに面白くなるのでは、とかイラストレーターやフォトショップを使えば、本の装丁もさらによくなるのではというアイデアは出し、コーディネートするのです。
山ちゃんはフォトショを使えたわけではなかったが、これをよいチャンス!と子どもと一緒に学んでしまいます。これがジェネレーターの発揮するアマチュア性です。自分がプロである能力を元々持っていることが重要なのではなく、アマチュアの熱情を持つことなのです。
知らないけどもっと面白くすることはできるはず。一緒にもっと面白くしようよ。そのために役立ちそうなことを探し求めて私は突き進みますよ!
そんな姿勢を、家でも学校でも、大人のワークショップの場でも山ちゃんは示しています。
自分もダメ出しするし、相手からもダメ出しされる
相手にこうした方がいいというけど、相手からもじゃああなたもこうした方がいいよと言われる
これって「スーパーフラット」な関係の証ですよね。「すごいね」とほめるだけではなく、ネガティブなこともギスギスせず言える。むしろ面白がって語れるのは、対象が「人」ではなく「発見」であり、「作り出したいもの」だからです。
目の前にある「表現物・作品」をどうしたら面白くできるかに真剣になる。だから、ジェネレーターはしつこくプロトタイプをつくり続けてゆけるのです。その場にいる大人と子どもは、ともにたくらみにとりくむ「同志」という意味で「スーパーフラット」だと言えましょう。
今、目の前に生まれる「ライブ」の波をつかむ
いわゆる先生っぽくないとっくん。アートを専攻していない図工教師の山ちゃん。二人とも、なりゆきをしっかり見つめ、そこに乗っかり、ずれてゆく流れに漂いつつ、その場で起きていることを反芻しながら、前へ、前へ行くアマチュア「同志」の代表です。
「知らなければ、そこで学ぼう」
「できなければ別のやり方を改めて考えよう」
起きたことベースでしつこく取り組み続けることが「ライブ」。「ライブ」でのそれぞれの生の経験を大事にし、その経験が思い出となるように記録する。その記録を仲間とともに見つめなおすと、その先に、こんなことがあるんじゃないかとみつかる。
「ライブ感覚」なくして面白い学びは築けません。準備も計画も必要ですが、それを脇に置いて、今、生まれつつある「波」を見逃さず、そこに乗っかってゆく感覚。仲間とともに乗っかれば、必ずズレる。波が増幅したり、多彩になったりして、つくろうと力まずとも生まれる。それが単に図工などの芸術科目だけにとどまらない「アート性」だということが二人の言葉の端々から感じられました。まさにジェネレーターは「なりゆきサーファー」です!
ジェネレーター性を目覚めさせるというのは、決して楽ではない道のりかもしれません。すぐに目に見える成果とつながらない時間を過ごすからです。ああでもない、こうでもないの試行錯誤。先行き不透明で見通しが立たない。だからこそ、今、目の前に起こっていることからとりあえず始め、ひたすら記録しながら、あらわれてくることを追いかける。その先に、気づいてみたら生まれていた。ジェネレーターのライブにおける技=アートについて、具体的な実践事例とともに語られるので、きっと動画を見た方にもいろいろな気づきがあるはずです。
今年の締めくくりに、これからどう自分の学びの「あり方」を考えてゆくか、そのためのインスピレーションをたくさんくれるでしょう。
実際に動画をみたい方はぜひ We are Generators の仲間になろう!!
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