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「梅棹忠夫生誕100年記念企画展|

知的生産のフロンティア」レポート

小長谷有紀先生の解説ツアーとみんぱくゼミナールに参加して見えてきたもの

· 学びの眼鏡

起|今回の企画テーマは「発見」

 大阪・万博公園内にある国立民族学博物館にやってきた。お目当ては、「梅棹忠夫生誕100年記念企画展|知的生産のフロンティア」と「みんぱくゼミナール|梅棹忠夫に学んだ知的生産の技術」である。2011年に日本科学未来館で行われた「ウメサオタダオ展」以来の企画展で、今回は僕のアンテナはどこに反応するのか、楽しみにしていた。

 実は「みんぱくゼミナール」は国立民族学博物館のホームページからイベント予約をして参加するのだが、それに気づいた時には既に”満員御礼”になっていた。しかし、イベントページをよく読むと「当日参加枠」があることに気づいた。そこで前日から大阪入りし、朝10時の開館と同時に並んで当日チケットをゲットしようと目論んだのである。

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*大学生以来、25年ぶりの万博公園。予想以上に大きい太陽の塔。朝早いので人もまばら。

 ところが、10時過ぎにイベント会場の講堂前に並んでいる人は誰もいなくて、椅子に座って待っている人が数人いるだけだった。そこでいてもたってもいられず、先に企画展をみてしまおうと思った。きっと企画展にもまだ人数が少なく、ウメサオタダオを独り占めできると考えたのだ。

 それにしても、国立民族学博物館の展示は圧巻である。アメリカ・ヨーロッパ・オセアニア・アフリカ・西アジアといった地域の民族文化のディスプレイが見るものに迫ってくる。エリアだけではない。音楽、言語といった切り口で、ギターが大量に陳列してあったり、世界中で出版されている言語の違う「星の王子様」や「はらぺこ青虫」があったりする。それだけ見ていても、きっと1日では見切れないボリュームだ。そして、困ったことに企画展示場は一番奥にある。だから、その場所に行くまでの誘惑が半端ないのである。

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*国立民族学博物館はとてつもなく広い。今度は世界中の民族の展示をじっくり見たい。

 今回の企画展は梅棹忠夫の「知的生産の技術」を網羅できる基本構造にはなっているけれど、僕が見る限り、隠れテーマは「発見やひらめき」を逃さないための企画展だと思う。企画展の入り口のディスプレイは「発見の手帳」である。これは『知的生産の技術』の冒頭に出てくる、なんでも記録するレオナルド・ダ・ヴィンチを真似て、発見を手帳に記録するようになった、あれだ。本物だ。手帳にはこう書かれている。

独創は inspiration である。独創を生かすもころすもその inspiration を

とらへるかにがすかにある。このささやかなノートも、ひとへにそのような inspiration の resavoir (貯蔵)としてのやくめにはたさしめたいために、

折に触れて記して行くものにしたいのである。

 企画のはじめから度肝を抜かれ、ノートの写真をパシャパシャ撮っていると、後ろから博物館の研究員と思しき女性に声をかけられた。

 「あ、人数少ないけど…これから解説ツアーをしようと思うので、ご興味のある方はご参加ください」

 ラッキーと思う一方で、みんぱくゼミナールの参加券をゲットしなければならないから、どうしようか迷ったのだが、博物館の人の貴重な話が聞けるのでツアーに参加することにした。後で気づくのだが、この女性、国立民族学博物館客員教授で、この「知的生産のフロンティア」の企画・運営するリーダー、小長谷有紀先生、その人だったのである。

承|整理のデザイン

 小長谷先生の解説で感心したのが梅棹忠夫の「整理のデザイン」だった。展示されているフィールドノートは内モンゴル調査のもので、0番から48番まである。内モンゴル調査の参加者は今西錦司をリーダーに総勢6名で編成され、一番下っ端が梅棹忠夫だった。それでフィールドノートの情報編集は全て梅棹がやっていたそうだ。ディスプレイを見ながら、小長谷先生が「このノートに注目して」と指差したものがあった。それは調査全体を管理するマネジメントノートで、そこには調査で調べたい妄想(=仮説)が羅列してあり、それを誰が担当し、どの通し番号のフィールドノートに書くのかが計画されているものだった。だから、どのノートに何を誰が調べたのか、がわかるようにデザインされている。

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*手前のノートがマネジメントノート。

 克明に記録されたフィールドノートは、また見応えがある。今回の企画展の柱はデジタルアーカイブで、なんとこのフィールドノートの内容がパソコンで見ることができる。しかも、そのフィールドノートは梅棹忠夫だけでなく、あの今西錦司の直筆ノートが含まれているのだ。

 ノートの取り方や何を記してあるのかを比較するのも面白い。梅棹のノートは見やすく、箇条書きで几帳面に書かれているものが多い一方で、今西のノートはカタカナの送りで豪快な文字がノートのラインを無視して豪快に書かれていたりする。

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*これが今西錦司直筆のノート。たまたま梅棹忠夫が情報を整理するために所有していたため、

国立民族学博物館で保存できている。

 さらに、ここからがすごいのだが、下っ端の梅棹は50冊近いフィールドノートの情報をカードに変換していく。タイプライターでローマ字で書かれたカードは5,000枚近いそうだ。このカード情報の組み替え編集がなされれば、自然と論文へと繋がっていく。

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*情報変換されたカード。この夥しいカードを並べ替え、組み替えることで、論文が生まれる。

 小長谷先生の指摘によれば、梅棹忠夫の「整理のデザイン」は自分だけわかればいいものではなく、誰もがわかるようにデザインされている。共同研究だから誰もがわかるようにしなければならない必要性に対応した設計なのだ。みんぱくゼミナールの冒頭、小長谷先生は梅棹忠夫から学んだものは「整理の方法」だといい、阪神大震災で被災した時でも梅棹整理術のおかげで、数日後には研究室が元に戻っていたそうだ。整理の基本はBOXとファイルを使い、日付順に、アイウエオ順で情報を並べるのがコツだそうだ。第三者にも再現できるルールのある整理。これが梅棹整理術である。

転|発見の手帳の凄み

 さて、僕のアンテナに今回一番ひっかかったのは「発見の手帳のよみがえり」である。

発見の手帖が死んでしまってから、もうどれだけの年月が立ってしまったことだろうか。

戦後も、たしかにいくらかの手帖が消費されてきた。そしてまた、大判のノートや、バラ紙や、メモや、そんなものに書きつけた思いつきが、いくらかたまっている。しかし、戦後のものは、何となく影がうすいのである。それらは、すべてバラバラであった。それはわたくしの内面的な生活の分裂と相対應している。発見の手帖のよみがえりは、わたくし自身の統一の複活でなければならない。

 よみがえりの手帳の冒頭で、このような指摘をしつつ、そこからとんでもない量の気づきが展開される。これはほぼ全て、アーカイブで見ることができるのだが、パソコンでアーカイブを眺めていたら、小長谷先生が「あ、これ、今でもやり切れていない研究がたくさん指摘されていて、面白いでしょう?」と話しかけてくださった。先生が指摘するように、このよみがえりノートが僕の中では今回の企画で一番刺激的だった。

 というのも、発見の手帳は、ただ単に気づいたことをメモしているのではないからである。梅棹忠夫の発見の手帳は、箇条書きベースの仮説による「こざね」的メモで、もう読んでいるだけで、論が固まっているかのような錯覚を覚えるレベルなのだ。ひらめき=仮説のひとかけらをメモしているのではなく、ひらめきから生まれる「物語の原型」がそこにはある。つまり、これまでの知識を総動員しながら、仮説に対する論まで、一気に記録しているノートだと考えた方がいい。

 しかも、そこでテーマにしている領域は多岐に渡っている。

 以下に抜書きしてみると、

戦後の不安定、解放、Panicの生態学的考察、Human Ecologyにおける実践性、社会心理の発生学的分析、教育の問題、GemeinschaftとGesellsehaft、人間の科学、新しき方法序説、競争について、過程論的矛盾性、競争の追放、Fieldは如何にして形成されるか?、歴史について・・・

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*気づきのメモであり、未来の自分への指示書のような文もあり、

結果「論」が立体的にイメージできるような、不思議な感覚を覚える。

 このようなテーマに関して、先に述べたような仮説が既に物語的に配置され、考察が箇条書きに描かれており、確かにこの手帳をみれば、その時に考えたひらめきを論に近い塊として再現できる。梅棹忠夫が描いてた発見の手帳は単なるひらめきの断片ではなく、ひらめきから導いた「仮説の物語」の記録と捉えた方がいいだろう。

結|ウメサオの霧箱の本質

 みんぱくゼミナールでゲスト講師として参加されていたのが、国立情報学研究所の高野明彦先生だった。高野先生の「連想検索」技術は、僕も注目していて、『読書HACKS』(東洋経済新報社|のちに講談社α文庫)でも取り上げさせていただいた。その高野先生が梅棹忠夫デジタルアーカイブスのプロジェクトを仕切っている点も魅力的である。

 高野先生は高校生の時に『知的生産の技術』を読んで、「ウィルソンの霧箱」の宇宙線の指摘にシビれたという。これは宇宙線は誰にも注いでいるのに、目に見えない。しかし、ウィルソンの霧箱が宇宙線をとらえるように、「ひらめきを逃さない」仕組みが知的生産の技術なのだ、という指摘には感心した。

 では、ひらめきを逃さないために梅棹は何をしていたのだろうか。

 この問いに対して、小長谷先生は「記録と記憶、秩序と脱秩序の往復運動(行ったり来たり)」を繰り返すことこそ梅棹がやっていたことだ、といい、情報を揺さぶり、シャッフルすることで独創性を導こうとしていたという。

 さらに高野先生の指摘も面白かった。高野先生は情報整理と活用法に関して、ヴァネヴァー・ブッシュが提案したメメックスと梅棹の知的生産の技術を比較して、そのユニークさを次のように指摘していた。

フィールドにおける体験や観察を、「考え・書き・読む」という活動の切れ目のない繰り返しにうまく接合する「ウメサオの霧箱」は、探検的思考のための装置に他ならない。

 つまり、新たな「目的探し」の探検であり、自分の独創を鍛える装置である、とも言えよう。そう捉え直して、もう一度『知的生産の技術』を読んでみると、また違った発見があるのかもしれない。さらに深い解釈を知り、対象を捉え直す。この繰り返しこそ、学びの楽しみの1つである。

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