2022年の生配信第一弾は1月19日(水)20:00〜のジェネレーターいらっしゃいでスタートしました。今回のテーマは、「自然と人の暮らしをつなげるジェネレーターのあり方」です。
渡部由佳さんと木下茉実さんは「山」と「森」に囲まれてゆるやかに暮らし、イキイキ・ワクワク面白がる生き方を模索しています。二人とも「ジェネレーター」を自認し、あれこれどんどん企んでゆくまさに「ジェネレーター代表=ジェ代」です。「ジェ代」は世の中を面白くしようと思っていますが、自分を含めて「人間」の思惑だけでなんとかしようとは考えません。人間をとりまく動植物やら海やら山やらの「自然」とつながる感覚を持ち、ジェネレートされるのを愛する人です。そんな「ジェ代」のあり方を体現する二人に、今、何をしていて、これからどんなことをしようと思っているか自由に語り合いました。
前半は、木下茉実さん。シダ植物が好きで、紀伊半島はシダ植物の種類が豊富であるため吉野町(奈良県)へ2019年に移住しました。シダを愛し、シダのことを語り続ける姿の素敵さも込めて、ジェネ仲間たちは「しだちゃん」と呼びます。
しだちゃんは、吉野町の地域おこし協力隊として移住しましたが、小さなシダ植物専門の私設植物園「しだのすみか」を開園しました。さらにシダについて探究し、シダを仲立ちにして人々が関わりあう場として「しだのこ Labo」も開設。懐かしの鉄製薪ストーブをクラウドファンディングを成功させて設置し、冬場でも囲炉裏を囲むようにストーブに温まりながらあれこれたくらむことができる素敵な場が誕生しました。
しだちゃんの話を聞いていると、限りない対象愛と好奇心を抱いているのがひしひしと伝わってくるので、その「あり方」がジェネレーター性にあふれていることがよくわかります。しかし、それ以上に興味深いのは、「シダ」という植物の「あり方」が「ジェネレーター性」に満ちており、そんなところもしだちゃんが「シダ植物」に魅せられる理由だというところ。
「シダって葉っぱを開く前にどんな形の葉っぱを何枚開くか予定しているんですよ。時期が来ると、自分のありのままを素直に表に出すように、重力に身をゆだねて葉っぱを開いてゆくんです。がんばらないで、淡々としているところが最高ですよね」
自分の「外」の状況に合わせて逆らわずに動くジェネレーターの行動原理と、シダの開き方はまさにつながるところがある。
しだちゃんはしだのこ Labo のある吉野を中心にシダの生えているところならどこででもシダを観察しながら歩く会を実施している。そのときの歩き方が Feel度Walk そのもの。なんとなくこれはシダだなと感じる植物を探しながら歩いているうちに、だんだんどれがシダ植物か見つけられるようになってくることを大事にする。だからあらかじめシダについては教えない。シダがみつかったら、ひたすら葉っぱを観察する。形やら大きさやら、ルーペも用いて葉の隅々をよく見る。見つかったシダの名前を知ることや、どんな生態かを知ることは二の次。とにかく「シダまみれ」になって、シダをただただ見つめることに没入するのだ。
「そうするとどうしてこんな形なんだろうとか、シダの種類によって生えている場所が違うのはどうしてだろう、そもそもシダの生えているところの特徴はどんなところだろう、というような問いが自然に湧いてくるんです」
シダまみれになるからこそ自ずと問いが湧き出し、シダのメガネで周囲の環境を眺めようとし始める。こうして、単にシダについて詳しくなるだけでなく、シダの生き方と人間の生き方を対比したり、シダを通して自然環境の成り立ちを考えたりするようになる。
「でも、何よりもシダの生き方が面白いし、それを見ている自分が楽しいからそれでいいんです」
自らの人生をシダの成長サイクルに当てはめてしまうほど「シダなりきり」のしだちゃんのジェネレーター性の根源は、何よりも自分が何かにクレージーにはまってしまう「面白がり屋」だというところに結局戻ってくるから面白いではないか。
「私も突発的凝り性だから」
後半は、しだちゃんに負けず劣らず、面白がり屋なのが「ゆかんこ」こと渡部由佳さんだ。2020年8月にコロナを機に檜原村へ移住したが、生まれ故郷は千葉県成田市。子どもの頃は雑木林の中と成田山の参道でずっと遊んでいたと言う。今は山奥に住んでいるが、車中泊できるように車を改造し、親子3人で千葉や静岡の海で波乗りを続けていて、こよなく海を愛する人でもある。
行政書士有資格者で、都心でリスク管理の法務コンサルタントを務め、バリバリ働いていたが、これからの時代にふさわしい生き方を「とりあえず」始めちゃおうというノリの良さと、なんでも面白がって実現につなげてゆくフットワークの軽さがまさに「ジェネレーター代表=ジェ代」を体現している。
マルチに活動するゆかんこではあるが、今、メインに動いているのは、東京チェンソーズという林業家が所有する林を舞台にオープンした会員制アウトドアフィールド『MOKKI NO MORI』だ。
畑を借りて市民が自分のできる範囲で趣味の農業をすることができるなら、森の生活をしてみたいなと思い立った人が気軽に「サブスク」できる森があったっていいじゃないかという発想で生まれたのが『MOKKI NO MORI』だ。
ゆかんことしだちゃんに共通しているのは、「大義」が先にあって動くのではないところだ。まずは自分の「面白そう、楽しそう」が最優先である。大上段に構えて、「地球環境」をよりよくしよう、とか保護のための運動を起こそうとかいう動きをすると、眉間にしわが寄り、ピリピリしがちだ。活動を広げよう、続けようとどうしても肩に力が入ってしまう。
しかし、自然を愛するジェネレーターはまず自分が「自然体」だ。まずは自分ひとりからスタートする。だって自分がやりたいし、やってると面白いから。だから肩に力など入りようがなく、なかなかうまくいかない瞬間があっても、「これもまたつら楽しい瞬間だ!」と思えるから乗り越えられる。すると面白いもので「私も一緒にやりたいな!」という「変人」仲間が少しずつ集まってくる。わざわざニワトリを連れてキャンプに来るようなユニークな仲間が一人、また一人と集ってくる。
大きなインパクトや規模の拡大より、小さいけれど本気で面白がる仲間たちとのたくらみ
なんだかわからないけど面白そうだからやってみようかな
ちょっと大変そうだけど、それを乗り越えると気持ちいいよな
という感性を共有する仲間がジェネレーター。まずはジェネ性を発揮する人たちが集まって始め、そのカルチャーをちょっとずつ広げてゆこうとするのである。
「自然が目覚めるから人も目覚めます。山や大地に人が手を入れることで、大地と人間がコラボレーションできます。そのカギは、ウンコを大地に還すことなんです」
最近、ゆかんこは、山の土中環境について心を焦がす日々を送っているそうだ。そのために人ができる「大地の再生」方法は、縄文式のボットントイレを山中に作ることだと言う。しかし、山の中ならどこでもよいというわけではない。人がウンコをして食べた栄養分を大地に還すには、水が通り、風が通り、分解する微生物が活発に活動する場でないといけない。そうした場を探し出し、トイレをつくり、そこで用をたすことで、山の土は生き返ってゆく。
トイレをつくるには周囲の土をシャベルで掘り起こし、水の流れを穏やかにするように段状にしてゆかなければならない。こうした作業を通して、自然と戯れながら、真剣に働く『ちきゅうのがっこうプロジェクト』をこの春から年間プロジェクトとして開始する。私(市川力)も、このプロジェクトの企画・カリキュラムづくりに参画していて、現地ジェネレーターとしてともに自然を通じて学ぶあり方を追究することにしている。
「シダも生えることで大地に栄養を与えているし、人間も実は体内にいるたくさんの微生物のおかげでなんとか生きていられる。自分の体の内と外とか線を引けませんよね」
ゆかんこのこの言葉は、自然とつながり、一体化する感覚がどうしてジェネレーター性に不可欠なのかの核心をついている。効率的に何かを生産し、その結果の大量消費・大量廃棄による莫大なエネルギー使用によって、自然環境が大きく破壊され、人類の生存に危機をもたらしていることは衆知の事実であろう。その生き方から脱することができず、右往左往しているときに、自然とともに面白がって生きる道を模索するには、人間中心主義から脱し、自分も含め巻き込まれているなにかを生成する流れに乗り、不便や理不尽を受け入れながら、ささやかに生きることしかない。
ジェネレーターは、これまでの尺度からすると、なんとなくぱっとしないような、貧しいようなライフスタイルを大事にするように見えるかもしれない。しかし、そんな生き方が実は光輝いていて、楽しくて、面白いのだということを身を持って示す先達と言えよう。しだちゃんもゆかんこもまさにこうした素晴らしい先達なのだ。
自然とともに暮せば、時間の流れが変わり、あくせくしなくなるし、人とのコミュニケーションに疲れることもない。自然の恵みや動植物とともに生きることでのみ得られる心の平安を味わって日々生きる。それは誰もがはじめられるんだよ!という誘いに満ちた時間だった。
ぜひとも動画アーカイブ全編をご覧になって、ジェネレーター・ライフ・ウィズ・ネイチャーの道についてじっくり考えてみてください。
※ 実際に動画をみたい方はぜひ We are Generators の仲間になろう!!
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