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大乗起信論と井筒俊彦の双面性

ジェネの読む本 2021.9.20 『西田幾多郎と双面性』(その2)

· ジェネの読む本

明治になって廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、国家神道の流れに仏教勢力は大いに力を削がれた。また、文明開化の大号令で鹿鳴館的に欧風化してゆく流れが急速に強まり、江戸の伝統文化は一気に捨て去られた。しかし、一方で、西洋に対峙する自分たちのアイデンティティを求める動きがすぐに生まれた。西洋とは異なる東洋の独自性は何か。「フィロソフィー」が「哲学」と訳されたばかりの時期に、「東洋哲学」をどう打ち立てるかと考え始めたのである。西洋に追いつけ追い越せということで設立された先端的学問研究である東京大学の文科でも、「東洋哲学」の講座が開設された。そこで重要視されたのは、儒学ではなく仏教であった。漢学・儒学の実践哲学として、また統治者の政治道徳としての面は認められ続けたものの、形而上学として思想を深める上では仏教がふさわしいという判断が当初からあった。そのために選ばれたテキストが『大乗起信論』だったのである。

ちょっと横道に逸れるが、この講義を担当し、『大乗起信論』テキストに選んだのは原坦山という男。もともと儒学を学びながら二十歳を過ぎて曹洞宗の僧侶となった。一貫して合理的思考を貫き、西洋医学を学んだこともあり、曹洞宗の宗門を批判し、僧籍を奪われた。東大の講師に抜擢されたときは「一介の易者」であった。そんな男を講師に抜擢する当時の東大の「文科」は、国家を支える超エリートを養成することが目的の「法科」とは随分趣が異なるユニークな場だったのかもしれない。原を師とした学生から東洋大学を創立した井上円了、清沢満之、三宅雪嶺という錚々たる人たちが生まれた。

西田幾多郎も鈴木大拙も『大乗起信論』から大きな影響を受けた。この世は人の認識が形づくる「妄念」に過ぎず、それを断ち切り修行に明け暮れ、「個人」として悟りを得ようとするのが「小乗仏教」。そうではなくて他者への「慈悲」こそ大事という「大乗仏教」は、「現象即実在」であり、具体的一元論であり、不動の真如も生滅を繰り返す現世もひと続き。「現象」を見れば「波」だが、「本体」は「水」。「水」と「波」は言うまでもなく「同一」。『大乗起信論』の中で説かれるこの比喩を西田は自分の論文にも引用している。

現象学を先取りするような『大乗起信論』は、実はいつ、誰が書いたか明らかでない小冊子に過ぎない。しかし、古くは空海が典拠とし、明治期の東洋哲学講義に採用され、さらには西田幾多郎の思想に影響を与え、鈴木大拙は最初に英訳すべき仏典と位置づけ、これから述べる井筒俊彦が深く依拠した書だ。

井筒俊彦は、『大乗起信論』を「強靭で柔軟な蛇行性」を特徴とする本と言った。矛盾する二つのことを「合一」することも「択一」することもなく、自己矛盾だらけに両方の筋を展開する。これを井筒は「双面性」と呼んだ。

本来、真如=真理はひとつであるとイメージされるのに、『起信論』では、自ら変化し、別の在り方へと変容し続ける。いつもはっきり見えるわけでも、わかるわけでもなく、時に現れ、消えることを繰り返し、つかみどころがない。ただ消えていてもどこかに隠れているだけで含まれている。

「真如は超越的に自己自身のうちに蔵身しつつ、同時に、自ら顕現せしめたすべての存在者の中に内在する」

見えないように見えても、ちょっとした現象にほとばしり現れてしまう。それは意図的ではなく「自発自展」する。まさに「ジェネレート」である。

『起信論』はさらに誰にでも「如来蔵」を認める。どんな人も仏の真理に至る素地を持っていると考えるのだ。

ではいつ真理=真如は訪れるのか。

真如のストーリーは突然に

である。『起信論』では「忽然念起(こつねんねんき)」と言う。井筒はこう説明している。

「いつ、どこからともなく、これという理由もなしに、突如として吹き起こる風のように、こころの深層にかすかな揺らぎが起り、『念』すなわちコトバの意味分節機能、が生起してくる」

あの日、あのとき、あの場所で、たまたま君と出会った

としか言いようのないジェネレート。いつどこで生まれたかをたどろうとしてもわからない。どこを目指しているのかもわからない。それが「忽然念起」である。

形もなくとらえ難い「真如」を「如来蔵」とはいえ「凡夫」であるわたしたちがどうしてとらえられるのか。それは「真如」を感じることができ、さらにはコトバで表現されるからだと『起信論』は説く。

西田幾多郎は「コトバ」以前に「真如」が顔を見せる瞬間を「純粋経験」と呼んだ。「純粋経験」に肉迫するには、

「物となって見、物となって動く」

という「なりきリフレーム」が重要だと言った。「コトバ以前」の「感じ」をなんとかつかもうとするのだ。

一方、井筒俊彦は、私たち「一般衆生」は、現実の心から出発するしかないので、「コトバ」の限界を「自覚」したうえで「コトバ」の背後にある「真如」をつかまえようとするしかないと考えた。

「いかに言語が無効であるとわかっていても、それをなんとか使って『コトバ以前』を言語的に定立する」

ところに自分の思想と『起信論』との共通点を見出した。

忽然と起こる「念」は、いかに「真如」と潜在的につながっているにせよ、「妄念」として作動してしまう。しかし「妄」と「真」との「紙一重」が新たな何か、面白い何かをジェネレートする契機となる。

では、不可視で潜在的な「真如」を目前の「念」である「現象」からどう取り出すか。

まず、「念」のはまりがちなパターンを「自覚」すること。自分が「見る主体」で、「見られる客体」が生じると考え、「見る客体」が任意に区切った現象を「客観的実在」と見誤ること。

「これはこういうもんよ」

という固定観念の成立によって、目の前の生き生きした現象は、一つの「枠」の中に押し込められる。これを『起信論』では「計名字相(けみょうじそう)」と呼ぶ。井筒はこれを「名の存在凝固力」と言い換える。

「名によって固定され、特殊化され個別化され、言語的凝固体群となるとともに、情念は我々の実存意識に対して強烈な呪縛力を行使し始める」

しがらみようにまとわりつく「コトバ=名」による呪縛を解き放つことなど果たしてできるか。行動経済学と認知科学が明らかにした数々の「バイアス」が私たちの判断を惑わし、逃れられないことを私たちは「自覚」していればこそ、絶望的な気分になる。しかし、実は私たちのあやふやなありのままにこそチャンスがある。

あやふやで変わり続けている存在であることの「自覚」が「不覚」からの脱出につながる。私たちは「生命体」である以上、どんなに「頭」が否定しようと「体」と「心」が変化してしまうことから逃れられない。気づかぬうちに「真如」からの信号を私たちは感受してしまっている。その感受の瞬間が

なんとなく

の瞬間なのだ。

なんか変、なんか気になる、違和感

ちょっと心を落ち着かせてみれば、体と心の正直な動きは止められないので「なんとなくセンサー」が作動してしまうのだ。こうして「不覚」だった心に気づいてしまうことを『起信論』では「始覚」と言う。

「始覚」の作動は「否定」の作動。

そうじゃ「ないかもしれない」

と思えるようになる。惰性的な判断を「否定」して、発想の方向が変わる。すると「如来蔵」である「コトバ以前の感覚」から真如につながる気づきがジェネレートする。

しかし、始覚したらそのまま簡単に自覚へ向かうほど甘くはない。すぐに別の「妄念」が邪魔をする。繰り返し「覚と不覚」をいったりきたりしないといけない。そこでカギを握るのが

である。「信」という漢字は「人」に「言」だ。「コトバ」を方便として用いて衆生を導こうと『起信論』が言う。コトバによって真如に近づき、やがてコトバを捨て去った全体性の世界を感知するに至る。凡夫の悟りの道は厳しく、険しいに決まっている。簡単に成し遂げられるわけがない。しかし、日常の営みに「なんとなく」感じられる「仏性」の原体験をよりどころにしながら、うまくいったり、いかなかったりを繰り返す。わかったと思ったらわからなくなる。見えたと思えたら見えなくなる。見えたと思うのは幻で、見えないものを信じられるかが重要。どこまでもモヤモヤし、安定はない。否定に次ぐ否定の連続。破壊に次ぐ破壊の連続。しかし「なんとなく」進まないではいられない感覚。それをなんとかコトバにしようとするが、コトバにした瞬間嘘っぽく思えてしまう。

そんな簡単にコトバで割り切って表現できたら苦労しないよな

という感覚。これこそ「信」であり、この意味での「信」を「起」こすことが『起信論』と言えるだろう。「依言真如(コトバによって真如に気づく)」ことで、コトバの原体験・原感覚を伝えきれない薄っぺらさに気づき、「離言真如(コトバによらない真如への気づき)」に到達する。しかし、日々、揺れ動く身で「真如」に接近するにはコトバを手掛かりにするしかない。コトバに頼りつつ、コトバを超えた境地に達する。それが言に因って言を追い遣(や)る「因言遣言」である。

以上、井筒俊彦の読み解きを参照しながら、ジェネレーターの哲学に関わる『大乗起信論』のあらましをまとめてみた。