2019年に最も感銘を受けた本の1つにウォルター・アイザックソンの『レオナルド・ダ・ヴィンチ(上・下)』(文藝春秋)がある。本書は現存する7,200枚のダ・ヴィンチ全自筆ノートに基づいて、彼の生涯と天才性に迫った傑作だ。ダ・ヴィンチを語る時、多くの著者は「最後の晩餐」や「モナリザ」等の「作品」に着目するが、本書が秀逸なのは「ノート」に着目した点であろう。この膨大な手書きのノートこそ、レオナルド・ダ・ヴィンチを天才たらしめた「知の源泉」だからである。
*ロンドンの大英博物館では、ダ・ヴィンチのノート570ページをWEBで無料公開している。「アランデル手稿」(The Codex Arundel)と呼ばれるノートは、数学や物理学から光学、天文学、建築まで、その中身は多岐にわたっている。
ウィンザー素描集_RL12660v 濠の中に落下する水
最近、市川さんと「知図」について議論を深めている。「知図」はFeel℃ Walk(感度を高める歩き)で発見したことや不思議に思ったことをマップ化するものだ。簡単にいうと、歩いた足跡がわかる地図を描き、その上に発見や不思議を絵に書いたり、文字情報で補強する。ここにはシンプルなルールがあって、「知図」に載せる情報は、本で読んだ情報やググった情報を載せてはいけない。基本は歩いている最中に遭遇する看板やチラシ、出逢った人との会話などで構成する。
Feel℃ Walkを終えたら、なるべく時間を開けずに「知図」を描く。
「知図」を描くと、とてつもない効用がある。まず歩いた足跡が脳内に定着する。単に写真を撮って、インスタグラムにアップするのとは全く違い、その時の風景がありありと蘇ってくる。また、現場の詳細な情報は、教科書にもGoogleにも掲載していないものがあり、貴重だ。例えば、八王子市の富士森公園内にある浅間神社でもらった「浅間神社縁起」によれば、「昔から樹木が生茂る鬱蒼とした森で藤森と言われ、塚も藤塚と言われ文献にも藤塚と書かれていました。慶長年間の富士浅間神社創立後は富士森、富士塚と言われるようになりました」とあり、地名の表記は変更されたが、音としての地名は残っていることがわかる。
八王子市富士森公園にある浅間神社でいただいた縁起
さらに「知図」を描き続けると、「あれ?この風景はどこかで見た覚えがあるぞ」と言った具合に「類似」の発見につながる。例えば、昔、武蔵國国府があった府中市と下総國国府があった市川市の土地はとても似ている。広い高台の横に大きな川がある土地は「国府立地向き」だと思えてくる。この共通項を見出せれば、それが思考の補助線となって、新たに土地を見る視座となるのだ。
ひるがえってレオナルド・ダ・ヴィンチのノートである。このノートをルネサンス時期のヨーロッパで見聞きした彼の「知図」と捉え直してみると、彼の「不思議の種」と「作品」をつなぐ重要な「架け橋」になっていることがわかる。
そう、「知図」こそ、自分の足で見つけた「不思議」を解明したい知的欲望を掻き立て、さらに自分を超えて、誰かにわかってもらいたい、感動してもらいたい衝動を生み出すものだったのだ。ウォルター・アイザックソンによれば、ダ・ヴィンチのノートは実際には現存の4倍あったと言う。想像してみよう。自分が集めた不思議の種と、それを解明するための仮説がぎっしり描かれたノートが28,800枚あったら、どうだろうか?それはすでに凡人を超え、天才の領域に近いことが感覚的にわかるだろう。
*小学校3年生から中学3年までの7年間「自学」という形で進めた梅田明日佳くんのNHKスペシャル「ボクの自学ノート〜7年間の小さな大冒険〜」はまさに「知図」の蓄積がもたらす学びの力を見せつけた事例だろう。
梅棹忠夫の名著『知的生産の技術』(岩波新書)は、ダ・ヴィンチが主人公の小説メレジュコーフスキイの『神々の復活』で読んだ強烈な思い出から始まる。小説に出てくるダ・ヴィンチは「ポケットに手帳をもっていて、なんでもかでも、やたらにそれにかきこむ」癖について紙面をさき、「わたしは手帳をつけることによって天才になろうとこころみたのである」と宣言している。
梅棹忠夫は本気でダ・ヴィンチの癖を盗み、先人を超えるメモやノート、写真を蓄積し、本物の天才になりえた。彼は「知図」の効力を理解していたのである。
これから始まる連載は、読者をレオナルド・ダ・ビンチに近づけることを目的としている。著者の原尻はウォルター・アイザックソンの本を読み込んで、我々が編み出した「Generative Learning(みつかる+わかるモデル)」が不思議とレオナルドの学びと同じことに気がついた。次回は、その本質と方法について、丁寧に解説することにしたい。